書籍の貸与権問題

 本のレンタルにおける著作権、「貸与権」の議論がくたばれ!さくらいさんでなされています。僕はこの問題はもちろん、法律が通ったことすら知りませんでしたが・・・。 産経web 要点は、新刊を購入する人/古本を買う人/有料でレンタルする人/図書館(無償)で借りる人など、書籍に支払う対価の異なる人々が平等であるためにはということです。

 それぞれのblogで論点が食い違っているように思います。結局の問題は著作者や出版社に金が入らなくなると経営が厳しくなり、従って質も落ちていくという悪循環に帰結するという点です。個人的には書物は文化であり、文化財(知的財産)には絶対的な保護をしてもらいたいと思います。とはいえ現代の社会において特定のジャンルだけを特別扱いするわけにはいかない。書籍のあり方を見直す機会とみていいのではないでしょうか。問題はどれだけ出版サイドがメリットを得るかということ。図書館のあり方も変わって当然ですよね。

 活字文化の供給方法が多様化している今、新しいビジネスモデルの普及が必要なのではないかと思います。インターネットの発達やblogの広がりはいい例ですね。厳しいようですが、出版サイドが印税とマージンだけで食べていく時代は終わったのではないでしょうか。ひとつのプランとして、読者が直接的に作家や出版社を支えるシステムなんてどうでしょう? 読者は好みのコミュニティ(ないし個人)の質・規模の維持拡大を期待して投資し、投資された側は出資者の期待に応えるよう努力する。そして成功した場合は出資者にリターンをする、という相互補完システム。商品そのものに対価を支払うのではなく、出版サイドに直接投資するという新しいラインの構築。資本の流入よって出版業界全体を活性化させる・・・。ふとした思い付きです。法律や業界の詳しい事情も分かりません。先ほどのプランにしても、ぱっと思いつくだけでも著しい質の低下に繋がりかねない危険性を含んでいるのが分かります。でもとにかく僕が言いたいのは、文化に対する危機意識が希薄なまま文化財という役割を担えるほど活字文化は薄っぺらいものではないだろうということです。書籍流通に関わるコミュニティ全てが活字文化を担っているという自負をもち、真摯に向き合ってほしいものです。こうした議論が今後さらに活性化することを期待します。

 取り返しのつくあいだに出版業界の再興が必要でしょう。文化そのものが衰退する前に。なんて深刻に&偉そうに書きましたが、衰退と再興とはシーソーゲームです。いずれは戻るでしょう。重要なのは戻り方。質の維持・向上を決定づけます。この点は未掲載の別エントリー「小説作法というジャンルについての私見」の方で扱う「バランス」という考え方にも通じることなので、後日目を通していただければ幸いです。
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# by gogayuma | 2005-01-23 01:19 | 文芸/雑記

引越し完了!

 報告が遅れましたが数ヶ月間お世話になったライブドアから引越しました。といっても以前はほぼ完全なクローズドblogでしたので、心機一転ニューオープンですと言い切りたいと思います。

 エキサイトブログ、使い勝手がとてもいいです。軽さは言うまでもなく。社長ブログも好きです。仕事もプライベートも充実されているのが伝わってきて読んでいて楽しくなる。見習わねば。今後は村上春樹、モーム、ミスチル、小説作法等、軸となるコンテンツを充実させると共に、日々の読書や映画の感想などもポストしていくつもりです。
 
 先の記事でも書いたとおり二月頭の海外行きとその準備(&テストも・・・)のため更新が滞ります。気がかりですが、帰国後に旅行記等で取り戻せればと思っています。末永く、よろしくお願いします。
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# by gogayuma | 2005-01-22 17:12 | 日記・雑記

☆☆☆+ 映画『カッコーの巣の上で』ミロス・フォアマン

カッコーの巣の上で
/ ワーナー・ホーム・ビデオ
ISBN : B0007IOJSY


 昨日に続いてチェコにまつわる話。今日は映画。ハリウッドで現在最も活躍している(亡命)チェコ人映画監督、ミロス・フォアマン。この後に『アマデウス』を撮っている。笑いあり涙ありの作品にも関わらず、見終えると心のわだかまりが解消するどころか余計にもやもやとする。名作である。原作はケン・キージー。ヒッピー文化の先駆者とのこと。人間の自由と尊厳が基本テーマ。刑務所から精神病院に移された主人公が、婦長をはじめとする病院側の独善的なやり方に反抗するという流れで話は進む。

 ジャック・ニコルソンがハマリ役。僕は演技に魅せられることは滅多にないのだが、あの笑顔にはかなわない。患者仲間達も個性豊かなキャラクターを名演(誰か一人と言われたら、やはりインディアンの末裔を挙げたい)。敵対する婦長のこれでもかと言わんばかりの憎々しさには本当に腹が立った。・・・自由とは。尊厳とは。そして正義とは何か。

 カッコーという鳥は自分の巣を持たない。他所の巣にある卵を一つ蹴落として卵を産む。しかも非常に早く孵化するカッコーの雛は他の卵すべてを蹴落とす。閑古鳥とはカッコーのことだ。寂しい泣き声に加え、巣のさびれ具合をもあらわしているのだろう。

 カッコーとは英語で気が触れた者という意味。カッコーの巣とは精神病院のメタファーだそうだ。僕は巣の上のカッコーになぞらえたのかと思ったのだけれど。

 ・・・追記 実はカッコーの巣になぞらえたこと自体は間違いではなかった。カッコーは育ての親を本当の親だと思い、育ての親もカッコーのことを本当の子だと思う。カッコーの巣とはこうした非本来的な関係であり意味的には存在しない場所である。つまりカッコーとはかりそめの秩序に疑いを持たずに生活していた精神病患者達であり、その巣に進入してきたマクマーフィーの「外へ出て真実を見ろ」という呼びかけこそが主題であるようだ。
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# by gogayuma | 2005-01-22 04:44 | 映画/☆3以上

☆☆☆+ 春江 一也『プラハの春』

プラハの春〈上〉
春江 一也 / 集英社
ISBN : 408747173X


 現役外交官が自らの実体験を元に、1960年代後半のチェコスロバキア民主化運動を描く。外交官という立場から眺めた世界は新鮮。そして登場人物一人一人が強烈な存在感をもつ。作者のこめる思いの強さが感じられる。恋愛小説というよりも歴史小説として評価されるべき作品だが、キャラクターの重みゆえに単なる歴史小説にとどまらない迫力がある。作者の本業ではない。当然、目に付くところは少なく無い。だがそれを斟酌してもこの作品を見ると、作中のような特殊な場合を除き、外交官がいかに暇であるかが窺い知れる。

 読んでいて痛切に感じられるのは個人の無力さだ。誰も歴史という大河に立ち向かえはしない。個人の行動は大河に一本の杭を打ち込むかのようなものでしかない。それを承知で自らの命を賭して生きた人々の姿は感動的である。歴史はその一本の積み重ねである。だが、同時にある種の諦念を感じずにはいられない。個人は大河全体を見渡すことはできないし、過ぎ去った流れは決して後戻りしない。個人の不幸があり、歴史の事実がある。

 来月、ウィーンを出発点として、この小説の舞台となったプラハにいく(この寒い時期に・・・)。作品中でも何度か言われている通りチェコは言葉の民である。古くはカフカ、チャペック、ハシェクがおり、最近では『存在の耐えられない軽さ』のミラン・クンデラがいる。この機会にすこし東欧の文学に触れようと思っている。
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# by gogayuma | 2005-01-22 04:43 | 文芸/日本現代

☆☆☆ W・Sモーム『女ごころ』サマセット・モーム(新潮文庫 龍口直太郎訳)

女ごころ
モーム 竜口 直太郎 William Somerset Maugham / 新潮社
ISBN : 4102130063


 モーム六十七歳の時の作品。凝縮されテンポがいい。それでいて深さを備えているところがモームの妙味であるが、真実のあり方と女ごころの動きとの対照が面白い。

 夫に先立たれた主人公のメアリイは最初ある男に求婚される。エドガーという旧知の仲の将来も安泰な出世頭の役人であり、メアリイもその気になる。それからとあるパーティーで知り合った放蕩児のようなロウリイにも求婚される。帰り道にパーティーでバイオリンを弾いていた貧相な男を目にし哀れみを感じて自宅に入れてやり男にとって人生最高という一夜を明かすが、別れ際にメアリイが結婚するつもりでいることを話すと男は逆上してその場でピストル自殺をする。他人に気づかれては身の破滅だということに気づいたメアリイは出張していたエドガーではなくロウリイに助けを求める。男は機転を利かして事態を切り抜け、このことは心に秘めておけと言う。だがメアリイはエドガーにすべてを告白した上でエドガーの求婚を断り、ロウリイに惹かれてゆく。こんなストーリーである。

 序盤はピストルが小道具として緊張感を生み中盤では死体運びがスリリングに描かれる。終盤ではモームの人生観がロウリイの口によって語られる。メアリイの嘘をつけない弱さと冷静だが社会や道徳に縛られない人生観を持つロウリイの強さ。この二人がどういうわけかお互いに心から惹かれあうという矛盾した構図がモームらしく、そこに真実味がある。
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# by gogayuma | 2005-01-22 04:40 |    ∟W.S.モーム