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『Sign』 Mr.Children

 優しさの中にどこか物悲しさがただようメロディー。聞くたびに何かがこみ上げてくる。

届いてくれるといいな
君の分かんないところで 僕も今奏でてるよ
育たないで萎れてた新芽みたいな音符(おもい)を
二つ重ねて鳴らすハーモニー

「ありがとう」と「ごめんね」を繰り返して僕ら
人恋しさを積み木みたいに乗せてゆく
 「ありがとう」と「ごめんね」にはいくつかの使い方があるように思います。

 まず挨拶のような気軽さでいう場合。人は自分の心には疎くても、他人の心には敏感です。言葉に心がこもっているかどうかはすぐ分かる。言葉の重みを知っているのならば避けたい使い方です。そう思い続けていてもなかなか直りませんが・・・。

 相手に何かを期待して使う場合が一番多いのではと思います。感謝や謝罪の気持ちはある。しかし無意識的であれ心のどこかにそれ以外の気持ちがある。

 何も期待しない気持ち。心の底から湧きあがってくる想い。一番少ないこの使い方がもっとも美しいように感じます。言葉にする必要もない「ありがとう」と「ごめんね」。この美しさは想う気持ちが強いほど切ないものになる。そして、この曲全体にただよっているのは紛れもないこの、切なさではないでしょうか。


ありふれた時間が愛しく思えたら
それは“愛の仕業”と 小さく笑った
君が見せる仕草 僕に向けられてるサイン
もう 何ひとつ見落とさない
そんなことを考えている
 たとえば離れている時。切なさが強まりますよね。そうして切なさを感じれば感じるほど、ちょっとしたことに喜びを見出すことができる。愛ゆえの切なさ。想う相手が手段や過程ではなく、目的そのもの、結果そのものであること。愛の無償さのもつ切なさは、人を優しくします。


たまに無頓着な言葉で汚し合って
互いの未熟さに嫌気がさす
でもいつかは裸になり甘い体温に触れて
優しさを見せつけ合う

似てるけどどこか違う だけど同じ匂い
身体でも心でもなく愛している
 想っているのにどういうわけか喧嘩ばかり。そして後悔。想っているからこそできる喧嘩もある。でもそうやって肯定的に捉えられるうちは幸せ。別れって、二人が積み上げてきたものに比べるととても些細なことから起こることが多いように思います。ちょっとしたひびから全てが流れ出てしまう・・・。服、装い、プライド、こうした覆いがひびを起こす元凶。でもなかなか捨てられない。なぜなら、裸を見せるのは勇気がいるから。

 「匂い」という言葉を考えてみると、嗅覚としての「匂い」と気持ちとしての「匂い」がある。聞いているとこの二つが僕の中では混じり合っているように感じます。そしてこの調和こそが「体でも 心でもなく 愛している」という「じゃあどこを愛しているんだ?」といいたくなるフレーズの答えであるように思います。


僅かだって明かりが心に灯るなら
大切にしなきゃ と僕らは誓った
めぐり逢った すべてのものから送られるサイン
もう 何ひとつ見逃さない
そうやって暮らしてゆこう
 相手を思う気持ちを忘れちゃいけない。自分、そして相手をも不幸にするから。というような恋愛論的解釈がひとつ。もうひとつは「めぐり逢った すべてのものから送られるサイン」という一節から感じられる人生論的解釈。出逢ったこと、それだけで切ないもの。だからそれを一時も忘れちゃいけない。生きていること、この一瞬一瞬を噛み締めよう。心から味わい、楽しもう。僕は後者に深みを感じます。

緑道の木漏れ日が君にあたって揺れる
時間(とき)の美しさと残酷さを知る
 桜井の重要なモチーフの一つ、時間。この曲全体の中で唯一ネガティブなフレーズが使われている部分であり、ひっかかる人も多いのではないでしょうか。

 美しさは場面から直感的に感じられる。このシーンは曲中唯一の写実的な場面です。それが一層リアル感を高め、心に響く。うまいですよね。浮かぶ情景は人それぞれ違うと思いますが、木漏れ日というと僕は中野サンプラザ(※という中野にある建物です。サンプラザ中野ではありません。)西側の並木道を思い出します・・・。ローカルな話で恐縮ですが。

 美しさに比べると残酷さの解釈は難しい。昔は見えなかった「しわ」を見つけたのかもしれない。風の流れによる木の揺れ動きと永遠に変わることのない(ように思える)太陽の光とを比べ、流れ行く時間、終わりある人間というものを感じたのかもしれない。あるいはまったく違う別の何かかもしれません。僕の頭には先日割れた、気に入っていたカクテルグラスが浮かんできます。ピアノの音のせいかな・・・。

 でも、この箇所の歌詞解釈は正直どうだっていいです。美しいものはいつか壊れる。見過ごしやすいけれど、そういう残酷さは必ずある。これが何をおいても見逃してはならないこの曲のSignだと僕は受け止めています。


残された時間が僕らにはあるから
大切にしなきゃ と小さく笑った
君が見せる仕草 僕を強くさせるサイン
もう 何ひとつ見落とさない
そうやって暮らしてゆこう
そんなことを考えている
 残酷さに気づいてはじめて残された時間があることが分かる。この直感はとても切ないことです。でもネガティブな言葉を用いてまで桜井が伝えたかったことはもう一つあるように思います。悲しみを原材料とする切なさ。それを乗り越えるための勇気を与えてくれるのは、他でもない君のSignであるということ。

 切なさを生むSign。喜びを与えてくれるSign。辛さを感じさせるSign。たくさんのSignがある。でも、何ひとつ見落とさない。目を背けない。そうやって生きていきたいものです。
by gogayuma | 2005-01-26 09:50 |    ∟Mr.Children
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